十国春秋卷一百七 北漢四 列傳 盧贊

盧贊

  • 盧贊は睿宗に仕え、積官して宣徽使に至った。周の臣李筠が降ったとき、睿宗は贊にその軍を監させた。筠は内心大いに不満で、事を謀るにあたりしばしば贊と食い違った。睿宗は衛融に命じて仲裁させたが、結局は心を降して従うことができなかった。ほどなく宋の将石守信が筠の軍を大破し、贊はそのまま身をもって殉じた。左右の者はこれを哀しまない者はなかった。

史論

論曰:得中は故主(旧主君)に心を寄せ、貪生(生を貪ること)をもって国を売ることをせず、その節は大なるものと言えよう。融は慷慨として撓(たわ)まず、死を視ること帰するがごとくであり、忠であったが、結局は宋廷に職を授けられ、郊禋の賦を献じたのはどうしたことであろうか。常と賛については、一つは厲階(禍のもと)の長舌(讒言)によるものであり、一つは援鄰(隣国への援兵)に端を発したものであるが、これを孝和(睿宗)が実にこれを殺したのだと言わずにはいられない。