十国春秋卷一百六 北漢三 列傳 定王繼顒

定王繼顒

  • 継顒はもと燕王劉守光の子である。守光の死に際し、孽子(庶子)であったため殺されずに済み、髪を削って僧となった。のちに五台山に居り、人となりは智謀に富み財利の商いに巧みで、世祖の時代よりすでにこれに頼るところが多かった。睿宗が嗣位すると、宗姓(劉氏の一族)の例をもって鴻臚卿を拝した。
  • 継顒は『華厳経』を講ずることができ、手には香如意(香木の如意)を執り、紫檀を彫刻して作り、芬馨(香気)が室に満ちた。四方の人々は争って供施し、多く積み蓄えて国用を助けた。五台は契丹の境界に当たっており、継顒は常にその馬を得て献上し、「添都馬」と号した。歳ごとにおよそ数百匹であった。
  • また華厳(山)を遊行し地に宝気があるのを見て、団柏谷に銀の採掘場を置き、民を募って山を鑿(うが)ち鉱石を取らせ、銀を精錬した。官はその十分の四を収め、国用の多くはこれより取り給された。すぐにその地に「宝興軍」を建てた。
  • 英武帝が立つと、継顒は後宮に内寵(寵愛される者)が多いことを知り、首飾数百副を献じた。都統を加えられ、太師兼中書令に進んだ。天会十七年に卒し、定王に追封された。