十国春秋卷九十八 閩九 列傳 薛文傑

要約

薛文傑は恵宗に仕えた中軍使で、性質は巧みで佞(へつらい)であり、恵宗が奢侈にふけると聚斂によって寵を求めた。国計使に転じると民間の秘事を探っては富人に無実の罪をなすりつけて財貨を没収し、拷問には杖打ちに加え焼けた銅器で足を熨るなど苛烈を極めたため国人はこれを深く怨んだ。妖しい巫女盛韜を推挙して宮中の鬼を占わせ、政敵である内枢密使呉朂を陥れるため巧みに罠を仕掛け、巫女に偽りの神託を語らせて謀反の疑いをかけ、自白を強要して処刑させた。

呉が建州を攻めた際、士卒は文傑の武才を頼みとして「文傑を得てから進もう」と要求したが、恵宗はこれを惜しんで与えず、太后と福王が「文傑を留めて何の益があろうか」と泣いて訴えたことでついに檻車に乗せて軍中に送った。文傑は自ら占って三日は無事だと豪語したが、護送は速く二日で到着し、軍士は憤ってこれを市で磔にし、市人は争って瓦礫や石を投げつけて肉を切り刻んで食い尽くした。

かつて文傑自身が古制の檻車を改良し、内側に鉄の棘を仕込んだ仕組みを考案していたが、出来上がって最初にその害を被ったのは他ならぬ自分自身であった。妖言をなした盛韜もともに誅せられた。

現代語訳全文

聚斂の巧言と檻車の報い

  • 薛文傑は恵宗に仕えて中軍使となった。性質は巧みで佞(へつらい)、受け答えに巧みであった。恵宗が奢侈にふけると、文傑は聚斂(過酷な取り立て)によって寵を求めた。まもなく国計使に転じ、しばしば民間の秘めごとを探っては富人に罪をなすりつけ、その財貨を没収して費用に充てた。
  • 榜箠(杖打ち)を受けた者は胸と背に分けて受け、さらに銅器に火を貯めてその足に熨(あて)た。国人はこれを怨んだ。
  • また妖しい巫女の盛韜を推挙して「陛下の左右には姦臣が多く、これを鬼神に問い質さねば、いずれ乱を起こしましょう」と言った。恵宗は韜に宮中の鬼を視させた。
  • 文傑は内枢密使の呉朂を憎んでおり、朂が病で欠勤していると、文傑は朂を欺いて「陛下は、あなたが枢密の任にありながらしばしば病と称して休むので、あなたを罷免しようとしておられる」と言った。朂は「どうしたものか」と言うと、文傑はこれに乗じて教えて言った、「もし陛下が人を遣わしてあなたの病状を尋ねられたら、頭痛だと言うだけにして、他に苦しいところはないと言いなさい」と。
  • 翌日、(文傑は)恵宗をそそのかして巫女に朂の病を視させた。巫女は「北廟に入って見たところ、朂は崇順王に問い詰められ、『お前は何ゆえ謀反を企てるのか』と言われ、金の鎚でその頭を撃たれておりました」と言った。恵宗はこれを文傑に語ると、文傑は「まだ実行なさいますな。まずその病状がどうかをお尋ねになるべきです」と言った。朂は果たして頭痛だと答えたので、そのまま捕らえて獄に下し、文傑と獄吏に命じてこもごも取り調べさせた。朂はみずから偽りの自白をして処刑された。
  • 朂は常に軍政を主り、士卒の心を得ていた。士卒は朂の死を聞いて皆怒った。
  • ちょうど呉人が建州を攻めると、恵宗は弟の延政を遣わしてこれを防がせたが、兵は道中で進もうとせず、「文傑を得てから進もう」と言った。恵宗はこれ(文傑)を惜しんで与えなかった。太后および福王が泣いて言った、「文傑は国権を盗み弄び、無実の者を害してきました。上下の怨み怒りは久しいものです。今、淮南の兵が深く侵入し、士卒が進まなければ、社稷は一日にして傾き覆るでしょう。文傑を留め置いて何の益がありましょうか」と。
  • ついに檻車で文傑を軍中へ送った。文傑は数術に長けており、みずから占って「三日を過ぎれば無事でいられる」と言った。送る者はこれを聞いて速く馬を走らせ、二日で到着した。軍士は勇み立って文傑を市で磔(はりつけ)にし、市人は争って瓦礫や石を投げつけ、切り刻んで食い、たちまち尽きてしまった。翌日、赦免の使者が到着したが、すでに間に合わなかった。
  • はじめ文傑は、古制の檻車が疎らで隙間が広いとして、その仕組みを改め、内外を貫通させて中に鉄の棘を内側に向けて設け、動けばそのまま触れて刺さるようにしていた。(その檻車が)出来上がると、まっさきにその害を被ったのは自分自身であった。あわせて盛韜も誅せられた。