十国春秋卷九十七 閩八 列傳 黄岳

王封を拒み夫婦で淵に身を投ず

  • 黄岳は福州感徳場の人である。経典に博く通じ、とりわけ易象・暦数の学に深かった。唐末、郷貢によって太学に入った。黄巣が閩に侵寇した際、避難する者たちが衣食に事欠くと、岳は施し与えることを好んで倦む色がなく、彼のもとに集まる者は市のようであった。
  • 太祖が威武節度使となると、その名を聞いてしばしば招いて属官にしようとしたが、力を尽くして辞退し就かなかった。ほどなく太祖が王封を受けると、必ず岳を起用しようとした。岳はもはや拒みきれないと悟り、ついに淵に身を投げて死んだ。
  • 岳の妻の林氏は「夫は忠臣となることができたのに、妾(わたし)一人が忠臣の妻となれないことがありましょうか」と言い、同じく淵に身を投げてこれに従った。邦人は祠を立ててその地に祀った。
  • 一説には、岳が死んだ時、父母・妻子・二人の弟・一匹の白い犬もみな水に赴いて死に、また岳を招請しに来た崇・舒・趙・田の四人もまた死んだという。