十国春秋卷九十四 閩五 列傳 嗣王夫人崔氏

嗣王夫人崔氏

  • 嗣王夫人崔氏は博陵の人である(あるいは、補闕の崔道融の娘であるという。黄滔の道融を祭る文に「賢王が嘉姻を結んだ時、良輔たることが期された」との句がある)。容貌は醜く、しかも淫らで、嫉妬心が極めて強かった。嗣王が良家の子女を選んで宮人に多く入れると、夫人はそのうち美しい者を捜し出して別室に幽閉し、大きな枷をつけ、木で人形を彫ってその頬を打たせた。また侍婢を練(練り絹)で縛って鞭打たせ、練が血で赤く染まるまでやめなかった。また鉄の錐を作って人の顔を刺し、あるいは腕を刺すこともあり、一年のうちに死んだ者は三十四人にのぼった。
  • 後に夫人は病んで、これは祟りだと見なされて薨じた。あるいは、太祖の急死は実は夫人が毒殺したのだという。ある日、雷が庭中で落ちて彼女を死なせた(『五国故事』にいう、ある日、盛暑で天に一片の雲もないのに雷電が博陵〈崔氏〉を撃ち、庭中で斃れさせた、と)。
  • 夫人はふだんから仏法を篤く信じ、福州の僧慧稜を師と仰ぎ、自ら「練師」と称した(『五灯会元』に、閩帥の夫人崔氏が使者を遣わして衣類を慧稜禅師に送ったことが記されている。禅師は「練師のところへ行き、大師にお返事を請うてまいれ」と言い、使者は「練師にお伝えします、お受け取りになったら、すぐに戻ってきて師の前で一礼して帰ってまいります」と伝えた。師は翌日府に入り、練師は「昨日……ありがとうございました」と言った。師が「では昨日のお返事をいただきましょう」と言うと、練師は両手を広げて見せた。師が「練師さきほどお示しになったお返事は、大師のお心にかないましたか」と問うと、師は「まだ少しばかりです」と言った、と)。