十国春秋卷八十九 吳越十三 僧道怤

僧道怤

  • 僧道怤は字を順徳といい、永嘉の陳氏の子である。六歳で肉を食べず、親族が無理に干し魚を食べさせても、すぐに吐き出した。そのため本州の開元寺で髪を剃り、已にして閩に赴いて雪峰禅師に謁見し、その宗旨に玅かに契合したので、時に「小怤」と呼ばれた。布衲のまま東府の鏡清寺に帰り住み、雪峰の法を唱えると、学ぶ者が奔り集まった。副使の皮光業は弁舌が宏贍で、しばしば議論を挑んだが、退いて人に「怤師の高論は、人がその極みを窺うことができないものだ」と言った。文穆王は天竜寺の住持を命じ、後に竜册寺を創建して招請し住まわせた。天福の初め、示滅し、竜册山に塔を建てられた。