十国春秋卷八十六 呉越十 列傳 薛温
要約
薛温は銭塘の人で、武勇によって親軍都頭となった。天福十二年、統軍使胡進思が忠遜王を廃して忠懿王を迎え両軍の事を領させ、翌年春、廃された忠遜王が衣錦軍の私邸に遷されると、進思は日々これを害する計略を求めてやまなかった。忠懿王は別の変事が起こることを慮り、温に親兵を率いて忠遜王を護らせ、「この任務ではお前に廃王の身の保全を委ねる。もし非常の処分があったとしても、それは私の意ではない。命をかけてこれを防ぎ止めよ」と戒めた。
進思は温に密かに廃王殺害の計略を持ちかけたが、温はこれを拒んで許さず、さらに夜、方安ら刺客二人を垣を越えさせて忠遜王の邸に侵入させた際にも、温は衆を率いてこれを救い、二人をその庭で斃した。ほどなく進思は憂懼のうちに背に疽を発して死に、忠遜王は天寿を全うすることができた。これはひとえに温の力によるものであった。温は官を累進して鎮国都指揮使・睦州刺史となり、乾徳三年、邸を捨てて吉祥律寺とし、まもなく没した。諡は正顕(あるいは正献)という。
史論は、事を裕蠱に処すべきときに決断できず奸邪の手にかかって滅んだ水丘昭劵と対比し、薛温が旧主への誓いを違えず護り抜いて二人の君主兄弟の間柄を全うさせた功績を、始めから終わりまで考えを変えなかった稀有な忠臣として高く評価する。
現代語訳全文
忠遜王を守り抜いた誓い
- 薛温、銭塘の人であり、武勇によって親軍都頭となった。天福十二年、統軍使の胡進思が忠遜王を廃して忠懿王を迎え両軍の事を領させた。翌年春、忠遜王を衣錦軍の私邸に遷したが、進思は日々彼を害する計略を求め、あらゆる説をもって迫ることが止まなかった。忠懿王はほかに変事が起こることを慮り、温に親兵を率いてこれを衛らせ、さらに戒めて言った、「この任務では、お前に廃王の身の保全を委ねる。もし非常の処分があったとしても、それはすべて私の意ではない。命をかけてこれを防ぎ止めよ」と。進思は果たして温に密かに計略を持ちかけたが、温はこれを拒んで許さなかった。さらに夜、方安ら二人に垣を越えさせて忠遜王の邸に侵入させたが、温は衆を率いてこれを救い、安らをその庭で斃した。ほどなく進思が死に、忠遜王は天寿を全うすることができたが、これは温の力によるものであった。温は官を累進して鎮国都指揮使・睦州刺史となった。乾徳三年、土地を捨てて吉祥律寺とし、まもなく没した。諡を正顕(一に正献に作る)という。
史論
- 論に曰く:昭劵の志はすべてを包み込むことにあり、事は裕蠱(寛大に処すべきか断固処すべきか)に似て、断ずべきときに断ぜず、その身は奸邪の手にかかって滅んだ。「易」に「君が密でなければ臣を害し、臣が密でなければ身を害する」というのは、水丘氏のことをいうのであろうか。薛温は旧主を守り抜き、誓いを違えることがなく、二人の君主兄弟の間柄をよくし、天倫を全うさせた。その功績はまことに大きいものであった。始めから終わりまでの間に考えを変えてしまった者たちとは、はるかに隔たりがあるといえよう。