十国春秋卷八十五 呉越九 列傳 滕彦休

契丹への使節

  • 滕彦休(闕)の人であり、幼くして抜きん出た才があり弁舌に長けていた。天宝八年、契丹に使いした際、大いに契丹の心を得た。翌年再び答礼の使者となり、折しも契丹の兵が梁の蔚州を攻めていたとき、敵楼が理由もなく自然に崩れ落ち、諸軍がこれに乗じて時をおかず攻め破った。契丹主は彦休を城内に案内して見学させ、そこで彦休に「述吕」という名を賜った。十三年五月、武肅王は再び彦休を契丹に使わせ、犀角・珊瑚などの品々を贈らせたところ、契丹主は大いに喜び、彦休に官を授けた。彦休は契丹を往復すること四度に及び、海に沿い河を遡り、険阻な道を踏破して隣国との友好を築き、その功績は最も大きいものであった。

史論

  • 論に曰く:高彦は子を難に赴かせ、志は君父を思うことにあった。まさに公のために私を忘れる者であろう。朱行先は身を慎んで正道に帰し、徳を損なうところがなかった。福・琰・敬忠は自ら戦陣の中に身を置き、智勇ともに奮い立たせた。王の臣として恥じるところはないといえよう。黄晟は心底恭順であり、滕彦休は君命を辱めなかった。いずれも良き評判があったのは、まことに善いことである。