十国春秋卷七十六 楚十 列傳 張文表
要約
張文表は朗州の人で、周行逢・潘叔嗣とともに劉言に仕え官を重ねて衡州刺史となった人物。行逢は死に臨み、隴畝より起こった同僚のうち唯一生き残った文表が必ず謀反を起こすこと、そしてこれを討つのは楊師璠であろうと遺言していた。果たして行逢の死を聞いた文表は「われは行逢とともに微賤より起こり功名を立てた、今日どうして小児に仕えられようか」と怒り、周保権が永州出征のために動員した戍兵をそのまま駆り立てて潭州に向けて奇襲した。文表を侮って備えをせず酒宴に興じていた知留後廖簡は殺され、そのまま長沙に拠って朗陵をも取ろうとした。まだ幼い周保権は「先君はまことに人を知っていた、不肖とはいえ軍国を賊の手に落とせようか」と涙を振るって三軍を鼓舞し、楊師璠に討伐を命じた。師璠もまた保権の賢さに感じ入って涙し諸将を奮い立たせ、旬日を経ずして文表を平津亭で大破、その肉を切り刻んで食らい残党をことごとく平定した。文表が挙兵を決意する前夜、従者が顎に龍が巻きついている夢を見て天命だと喜んだ逸話も伝わるが、識者はこれを神が去る凶兆と見抜いており、文表の滅亡とともに周氏の政権もまた遠からず滅んだ。
現代語訳全文
行逢の遺言どおり叛き、討たれる
- 張文表は朗州の人である。周行逢・潘叔嗣とともに劉言の麾下に属し、官を重ねて衡州刺史となった。行逢は死に臨んで、文表はきっと叛くだろう、これを討つ者は必ず楊師璠であろう、と遺言した。
- 文表は行逢が死んだと聞いて、果たして怒って言った。「われは行逢とともに微賤より起こり、功名を立てた。今日どうして北面して小児(周保権を指す)に仕えられようか。」たまたま周保権が兵を遣わして永州を伐たせようとしたとき、その戍兵を、文表はそのまま駆り立てて潭州を襲った。
- 知留後の廖簡は文表を侮って備えをせず、軍吏に語って言った。「小僧が来たなら、これを捕らえてしまえばよい、何を憂うことがあろうか。」太鼓を打って酒を飲むこと、いつも通りであった。文表はまっすぐ府中に入り、簡は殺され、その場で害に遭った者は凡そ十数人であった。そのまま長沙に拠り、さらに朗陵を取ろうとした。
- 保権はその時年がまだ幼かったが、叛乱を聞いて嘆いて言った。「先君はまことに人を知る(人物眼があった)。私は不肖であるとはいえ、どうして軍国を賊の手に落とさせられようか。」ただちに師璠に命じて万人を率いてこれを討たせた。
- 出発するにあたって、保権は涙を振るって三軍に対して言った。「先令公の墓の土もまだ乾かぬうちに、兇賊が逆を逞しくした。実に保権の不孝がまねいたことである。あえて諸君を煩わせるが、諸君は先令公の恩をまだ忘れていないなら、力を合わせ心を一つにしてこの賊を地下に滅ぼせば十分である。」言葉つきは激昂し、義は顔色に表れ、軍中の者で感泣しない者はなかった。師璠もまた泣いて左右を顧みて言った。「そなたたちは郎君を見たか。年はまだ成人していないのに、これほど賢い。」軍士は奮い立ち、みな自ら功を立てようと思った。
- 旬日を過ぎずして文表を平津亭で大破し、その肉を切り刻んで食らった。残党はことごとく平定された。
- はじめ文表が叛こうとしていたとき、なお躊躇して決まらなかったが、従者の一人が夜、文表の顎の上に一匹の龍が巻きついている夢を見た。文表は大いに喜んで言った。「これは天命である。」そこで決意して兵を挙げた。敗れるに及んで、識者は、龍は神物であるのに顎から出たのは、禍が起ころうとして神がそこを去った兆しであった、と言った。文表が滅びると、周氏もまたそれに従って亡んだ。