十国春秋卷七十一 楚五 列傳 希朗

希朗

  • 希朗は武穆王の末子である。国が滅びると唐に降り、その後また周に入った。周の世宗は希朗に行軍司馬を授けた。武穆王の子は凡そ三十余人であったが、今、史籍に見える者は衡陽(希聲)ら四王のほか、希振・希旺・希杲・希瞻・希崇・希能・希貫・希隱・希濬・希知・希朗にすぎず、十余人だけである。

文昭王諸子

  • 文昭王の子はその名の多くが伝わらない。恭孝王が長沙を陥した時、馬軍指揮使の李彦温は戦棹指揮使の劉彦瑫とともに王子を奉じて袁州に向かい、後に金陵で没した。

廢王諸子

  • 廢王の子もまたその名が伝わらない。朗兵が長沙を陥した時、王子は慈堂に匿れて出ることができなかった。後にその所在は知られなかった。李彦温・劉彦瑫はまた別に王の諸子を奉じて唐に奔り、金陵で没した。