十国春秋卷七十一 楚五 列傳 文昭王順賢夫人彭氏

文昭王順賢夫人彭氏

  • 文昭王順賢夫人彭氏の父の彭玕は唐に仕えて吉州刺史であった。梁の開平末、呉に敗れて衆を率いて武穆王のもとに奔った。武穆王はその忠義を憐れみ、郴州の統治を任せ、また文昭王のためにその娘を娶らせた。
  • 文昭王が位を継ぐと、彭氏はたびたび封じられて秦国順賢夫人となった。天福二年(937年)に薨じた。夫人は容貌は醜かったが家を治めるに法度があり、文昭王は大いに彼女を憚っていた。夫人が没した後、王は初めて情欲のままに声色にふけり、長夜の宴を催すようになり、国事はついに衰微に向かった。
  • これより先、夫人は常に報恩禅院に上って香を焚いていたが、報恩の僧が「夫人はどこの家の婦女ですか」と尋ねたところ、夫人はその言葉を軽んじられたと思い、急いで檐子(輿)を呼んで帰り、そのことを文昭王に告げた。王は笑って「これは仏門の禅機(禅問答)である。どうして『彭家の娘であり馬家の婦である』と答えなかったのか。そうすれば禅機はたちどころに解けたであろうに」と言った。夫人は恥じ入り「これは妾が見性(悟り)の域に至っていない過ちです」と述べた。夫人の聡明さはこの類のことが多かった。