十国春秋卷六十五 南漢八 列傳 陸光圖

陸光圖

  • 陸光圖は四會の人である。祖父の東升は烈宗の裨将として端州を守り、髙祖の建国に及んで累進して兵部侍郎となった。父の昂は桂州刺史となり靜江軍節度使を領した。
  • 光圖は名門の生まれで育ち、書を読んで大義を知り、歴任して閤門副使に至った。
  • 後主の時、文武百官の多くが内侍省に入って知事となったが、光圖だけは堅く外郡への赴任を求めた。後主はその意を悪んで、遂に外に出して郴州刺史とした。
  • 郴州に至ると、窮民を憐れみ救い、兵士を招き集めたので、民はみな彼を「陸父」と呼んだ。
  • 宋の軍が国境に迫ると、光圖は兵を遣って騎田嶺に柵を築かせたが、たまたま雨が降って黄溪が増水した。宋の将、潘美は流れに乗じて柵を破り、光圖は曁彦贇とともに力戦したが敗れ、捕らえられた。罵り抗い屈せず、ともに殺害された。その子孫の多くは端州に住んでいる。
  • 光圖にはかつての属吏で龎という姓の者がいた(その名は伝わらない)。常に事を奏上して後主に見えており、後主は彼を並々ならず見知っていた。
  • 後主が宋に入るにあたり騎田嶺を通ったとき、龎は地に伏して後主を迎えた。後主は驚いて言った、「お前はどうしてこんな近くにいるのか」と。龎は答えて言った、「陛下の国の辺境はここまでで既に極まっており、万里の遠さがあったわけではありません」と。
  • これより先、後主は郴州が窮荒の北辺にあると思い込んでいたため、光圖をそこに徙して住まわせたのだが、実はただ南隅に切迫した場所であることを知らなかったのである。その昏愚ぶりはこのようであった。