十国春秋卷六十三 南漢六 列傳 蕭益
蕭益
- 蕭益は故唐の宰相倣の孫である。大有の初め、累官して崇文使に至った。時に交州が乱れ、皎公羨と呉権とが相攻めていたとき、高祖はその乱に乗じてこれを取ろうとし、子の𢎞操を交王として兵を将いて公羨を救わせようとした。益は「呉権は桀黠(けつかつ、狡猾)で誠にたやすく軽んずるべきではありません。今、霖雨が積旬にわたり海道は険逺です。大軍はまさに持重し多く郷導を用いてから進むべきです、然らざれば兵は戢(や)まないでしょう」と言ったが、高祖は聞き入れず、𢎞操は果たして敗死した。
- まもなく高祖は病革(あらた)まり、右僕射の王翷とともに秦王・晉王の二王を外に出して第五子𢎞昌を立てることを謀り、制命がまさに行われようとしたとき、折しも益が入って疾を問い、高祖はその故を告げた。益は「嫡を立てるに長をもってするのが原則です、これに違えば必ず乱れます、少なる者を立てれば禍いはここより始まります」と諌めた。これにより殤帝はついに立つことを得た。