十国春秋卷六十二 南漢五 列傳 李殷衡

李殷衡

  • 李殷衡は世々趙郡の人で、唐の宰相徳裕の孫である。梁の太祖に仕えて右補闕となり、開平二年、嶺南官告副使に充てられて至ると、烈宗はこれを幕府に留め、節度判官に署し、時をおいても遣わし還さなかった。乾亨の初め、禮部侍郎同平章事の官についたが、まもなくその職にて終えた。
  • これより先、故唐の宰相劉瞻という者は殷衡の姉婿であった。子の贊は幼くして孤となり性は不慧(あまり聡くない)であった。殷衡はこれに読書を教え、毎に箠楚(むちうち)をもって督したが進歩しなかった。ある夜、贊は嵩山に遁れ入り、白衣の叟に出会って「汝に心を開き聡明にして必ず人に十倍せしめよう」と語られた。これより日に一巻を誦し、あわせて文藻あり、俄かに進士第に登った。梁の時、崇政院学士に充てられたが、なお殷衡をしばしば思い忘れなかったという。これもまた一つの異事である。