十国春秋卷五十六 後蜀九 列傳 景煥

生涯と画業

  • 景煥は一名を朴といい、成都の人である。自ら匡山処士と称し、もとより画を善くし、文章に巧みで、翰林学士歐陽炯と忘形の交わりを結んだ。
  • ある日、連れ立って応天寺に遊んだ。これより先、唐の僖宗が蜀に幸したとき、扈従の画士孫位がかつて寺門の左壁に天王および部従・鬼神を描いており、形製は詭異で世に比べるものがなかった。ここに至って景煥はそこで筆を揮って右壁に天王を描いてこれに対し、炯はその能を嘆重し、たちまち長歌数百言を作り、時を移さずして成った。継いで草書の僧夢帰が後から来て、廊壁に書くことを請い、書画歌行は都て神妙と称され、成都の人はこれを「応天三絶」と号した。
  • 煥はとりわけ龍を画くことを好み、『野人閒話』五巻があり、中の一篇は龍を画く事をかなり叙している(焦氏『類林』に言う、煥は玉塁山下に居を構え、常に墨五十団を造り、その印文に「香壁」といい、陰の篆に「副墨子」と言ったという)。