十国春秋卷五十五 後蜀八 列傳 曹光實

一族の仇を討つ

  • 曹光実は雅州百丈の人である。父の疇は後主に仕えて静南軍使となった。光実は職を継ぎ、永平軍節度管内捕盗遊奕使に遷った。宋の将である王全斌がすでに西川に入ると、まもなく盗賊が蜂起し、夷人の張忠楽という者が、常に群れをなして攻め襲い、しかも光実に恨みを持ち、その徒党を殺したことから、夜中に突然襲来し、その住居を取り囲んで鼓を鳴らし喚きながら押し寄せた。光実は母を背負って戈を振るい包囲を突破して脱出したが、賊は光実の一族三百口を殺し、さらに墓を暴いて、そのまま雅州を占拠した。
  • 光実は全斌のもとに赴き、事情をつぶさに申し述べ、冤憤(冤罪と憤り)を雪ぐことを誓い、雅州の地形の要害を図示し、あわせて攻略の策を陳べたところ、全斌はその志を壮とし、兵を率いて先導させたところ、果たして城を克服し、忠楽を捕らえて溜飲を下げることができた。宋は光実に黎州・雅州二州の都巡検使を知らしめ、累進して銀州・夏州・綏州・麟州・府州・豊州・宥州の都巡検使に抜擢した。しばらくして、李継遷に害されて没した。享年五十五。