十国春秋卷五十三 後蜀六 列傳 何重建
秦・階・成三州を献ず
- 何重建は晋に仕えて雄武軍節度使となった。晋が滅びると、秦・階・成の三州を挙げて後主に降った。北平王劉知遠はこれを聞いて嘆いて言った、「中原に主がなく、藩鎮を外に離反させてしまった。私は方伯(一方の長)でありながら、まことに恥ずかしいことだ」と。
- まもなく重建はさらに宮苑使の崔延琛を遣わして鳳州を攻めさせ、後主は重建を同平章事に加えた。まもなく、張䖍釗が鳳翔を征伐するに際し、重建を招討安撫副使に任じた。䖍釗は散関から出て、重建は隴州から出て、軍容はかなり盛大であったが、長く戦っても功がなく、韓保貞らとともに兵を率いて西に赴いたが、まもなくそのまま成都へ来て、数年住んで卒した。