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十国春秋卷五十三 後蜀六 列傳 李匡逺
健令と肉鼓吹
李匡逺は後主に仕えて塩亭令となった。当時、盗賊が至る所に充満していたが、匡逺は捕縛にあたって空しく過ごす日がなかったので、当時の人々はこれを「健令」と呼んだ。まもなく塩鉄判官に遷り、宰相の母昭裔に代わって使の事務を治めた。
匡逺は生来性急であり、一日でも刑を裁かなければ慘然として楽しまず、常に鞭打ちの音を聞いては「これぞ我が一部の肉鼓吹(音楽の代わりの楽しみ)だ」と言った。享年八十二で卒したが、後に盗賊がその墓を暴いて四肢を切り分けた。
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