十国春秋卷五十三 後蜀六 列傳 范禹偁

及第と貪欲

  • 范禹偁は九隴の人である。父の虔は衙吏であった。禹偁は若い頃落ちぶれ、生業に従事せず、闘鶏や走狗にふけり、遊興を習いとしていた。虔が死ぬと、母に従って張氏に再嫁したため、姓名を張諤と偽った。
  • ある道士がこれを見て言った、「あなたの骨相は尋常でない。もし頭を垂れて学問を受ければ、いつか必ず大いに貴くなるだろう」と。これによって丹景山に入り師について苦学した。天成年間に及第すると、初めて本姓名に復し、州刺史への上奏文に「昔年、及第したときには誤って張禄の名を掲げましたが、今日、故郷にあっては再び范雎の子孫となりました」と書いた。高祖は彼を蒙陽令とし、太子に侍らせた。後主が即位すると、累進して翰林学士となった。
  • 禹偁は生来吝嗇で、かなり財貨を集めることを急務としており、外郡の太守となることを求めた。後主はこれを聞き入れなかったが、外に出て簡州刺史を兼ねさせ、毎年州から数千緡の銭を禹偁に納めさせた。まもなく貢挙を掌ったが、賄賂の多い者を高い科に登第させ、面と向かってその値段を評定して、恥じる色もなかった。挙子の馮賛堯はもとの布衣の友であったが、家が貧しく資金に窮していたため、ついに及第させなかった。
  • しばらくして、後主に従って宋に降り、鴻臚卿を授けられた。あるとき、門下の士である白陽城が訪ねてきたところ、非常に歓待して一日中激しく談論した。やがて「私は近ごろ井戸を一つ掘った。水がたいそう甘いので、それぞれ一杯ずつ差し上げよう」と言ったが、結局は何も用意せずに終わった。