十国春秋卷五十一 後蜀四 列傳 龎福誠

龎福誠

龎福誠は太谷の人である。高祖に事えて牙内指揮使となった。長興の初め、唐兵が両川を征伐しに来た時、福誠は昭信指揮使謝鍠とともに閬州の来蘇村に屯していたが、剣門が失陥したと聞き、互いに言った、「北軍にさらに剣州を得させれば、二蜀の勢いは危うくなる」と。すぐに部兵千余人を率いて間道より剣州に趣き千衙城に壁したが、はじめて至ったところ唐軍万余人が北山より馳せ下ってくるのに遭った。福誠らは河橋に趣いてこれを迎撃したが、北軍はやや退いた。たまたま日が暮れたので、二人は謀って言った、「衆寡敵せず、明けるに及べば我らの属に遺る者はないだろう」と。福誠はそこで夜に兵数百人を率いて北山の頂に登り、転じて唐軍の営の後ろに至って大呼し讒噪した。鍠は余衆を率いて弓弩短兵を操り、その前より急撃した。唐軍は驚擾し、そのまま営を空にして逃げ去った。鍠は勢いに乗じて追撃し、唐軍はそこで進んで剣門を保った。人はみなその兵略ありと称した。広政中、韓保貞とともに鳳翔を撃ったが功なくして還った。