十国春秋卷五十 後蜀三 列傳 後主妃張氏
後主妃張氏
妃張氏は名を太華といい、若くして殊色を擅にし、眉目は画のごとくであった。後主に事えて専房の寵があった。広政の初め、輦を同じくして青城山に遊び、九天丈人観に宿ること月余にして返らなかった。奉鑾粛衛都虞候の李廷珪はしばしば諫めたが聞き入れられなかった。数日を居て雷雨が大いに作り白昼が暗くなり、太華は震に打たれて殞じた。そこで紅錦龍褥をもってこれを裹み、観前の白楊樹の下に痊めた。翌日、急ぎ鑾を回すと悲悼やまなかった。数年後、錬師の李若冲が薄暮に白楊樹の側を歩いていたところ、たちまち女子が詩を吟じ怨むところがあるかのようであるのを見た。「人か鬼か」と問うと、女子は衽を斂めて言った、「妾は蜀の妃張太華でございます。駕に陪ってここに遊び震に遭いました。願わくは超抜を賜わらんことを」と。若冲はそこで中元節に長生金簡を修めてこれに応えた。まもなく太華が謝辞する夢を見た。「妾はすでに生人の世に受生いたしました」と。壁間に黄土をもって詩を留めて去った。後主はこれを聞いてこれを厚く若冲に賚った。これより花蕊夫人だけが後宮の寵を冠するようになった。