十国春秋卷四十二 列傳 劉隱

劉隱

  • 劉隱は成都の人で、みずから語るところによれば、若い頃、常に西川監軍使の書状を黔・巫の南方の地に届けており、そこを「南州」と呼んでいた。州には山が多く険しく、道は荊棘に覆われ、身分の貴賤にかかわらずみな杖をついて歩いた。南州に至ろうとするとき、州の役人が書状を送って出迎えたが、一人の者が背中に籠を背負ってやって来て、隱をその籠の中に入れ、手を振り上げながら前へと進んだ。山を登り谷に入るときはみな絶壁の高さ深さで、指を割れ目に引っかけながら少しずつ進んだ。到着すると諸々の大校(有力者)に謁見し、心のこもったもてなしを受けた。そこで子牛を一頭料理し、まず子牛の腸の中の細かい糞を取り出して盤の上に置き、ゆっくりと箸で酢の中に混ぜ入れ、それから子牛の肉を食べた。かの地の人はこの細かい糞を「聖虀」と呼び、この味がなければ賓客の宴とは言えないとした。料理が半ばまで進むと、麻蟲裹蒸を出した。麻蟲裹蒸とは、麻や蕨のつるに付く虫で、今でいう刺猱(毛虫の類)のようなものを取り、荷の葉で包んで蒸したもので、それゆえこの名がある。その他の風俗も蜀の中とは大きく異なるものが多かった。