十国春秋卷三十九 前蜀五 列傳 王宗信
王宗信
- 王宗信は髙祖の仮子である。功を積んで左神勇軍使に至った。髙祖の時には顕著な功績はなかったが、後主が即位すると宗信に王宗昱・宗晏とともに三招討副とし王宗儔をもって岐を伐たせ、進んで威武城に屯し兵馬を訓練したが、ついに功を成すことなく還った。宗信は性が残毒で人を殺すことをひどく好んだ。常に鳳州を鎮めていたとき、角觝人(相撲取り)の蘇鐸という者がおり、これに巡警を委ねていたが、麾下の孫延膺と元来仲が悪かった。ある日、鐸は錦の袍を着け帯を束ねて遠行するような様子であった。宗信は楼に登ってこれを見て、延膺を顧みて鐸がどこへ行くのか尋ねた。鐸はもと岐の人であったので、延膺はそれに乗じて讒言して「鐸は公の畜養を受けながら禍心を包蔵し、久しく敵境に逃げ帰ろうとしています」と言った。宗信は大いに怒り、鐸を捕えさせて至らせ、その舌を断って刻んで斬った。将士はこれを冤罪と思わない者はなかった。翌年、延膺は謀反を企て、また殺された。