十国春秋卷三十九 前蜀五 列傳 王宗範

王宗範

  • 王宗範はどこの人か分からない。母の張氏はもと髙祖の後宮であった(一に周氏とも作り、貴妃に封じられたという。『通鑑』にはまた「宗範はもと姓を張、母は周氏で蜀主の妾であった」とある)。宗範は初め母に従って髙祖に帰し、母の姓を冒して張氏を称したが、髙祖は養って子とし今の姓名を賜った。髙祖に従って陳敬瑄を討ち、しばしば戦功を立て、まもなく夔王に封じられた。長和蛮が黎州に侵攻すると、宗範は衆を率いてこれを討ち、その兵を潘倉嶂で破り、また山口城で破り、まもなくまたその武侯嶺十三寨を破り、また大渡河でこれを破った。西南は震恐して人々は畏服しない者はなかった。数年後に卒した。