十国春秋卷三十八 前蜀四 列傳 宗裕
宗裕
- 宗裕もまた髙祖の族子である。唐の昭宗の時、髙祖に従って西川を鎮め、官は嘉州刺史であった。まもなく王宗侃らとともに彭州で楊晟を囲み、城を攻め地を略して戦功は最も多かった。まもなく馬歩使を領し、天復元年、王宗滌に代わって東川留後となり、まもなくまた漢州刺史に改められ、まもなく卒した。宗裕は性が謙謹で、髙祖が東川を平らげたとき諸将は多く功を争ったが、宗裕は枯木の下に立ってかつて自ら誇ったことがなく、時に「枯樹太保」と号された(一説に、宗裕は貨を貪り白金で鋌(延べ棒)を作り牛革でこれを裹んだが、その子が「牛革で物を裹むと開けにくいです」と諌めると、宗裕は叱って「どうしてまた開けるのか」と言ったという)。武成三年、通王を追封された。