十国春秋卷三十一 南唐十七 列傳 衛賢
楼台人物画と後日談
- 衛賢は内供奉となり、楼台・人物画に長じ、常に「春江図」を作った。後主はその上に「漁父詞」を題した。また王斉翰という者があり、仏道鬼神を描くのに巧みであった。金陵が陥ちたとき、歩卒の李貴が仏寺に入って斉翰の描いた羅漢十六幅を得てこれを持ち出した。また蔡潤は船水を描くのに巧みで、初め後主に随って宋に帰り、八作司の彩画匠人に隷属していたが、のちに「舟車図」を描いて貢上したことにより、画院の職に補せられた。当時また竹夢松という者があり、後主に事えて官は別駕であった。人物・宮殿を描くことに巧みで代に冠絶した。夢松は溧陽の人である。