十国春秋卷三十一 南唐十七 列傳 康仁傑
僧より儒へ
- 康仁傑は泉州の人である。若くして髪を剃り僧となったが儒学を喜び頗る自ら励んだ。陳徳誠が池州刺史となると、仁傑は江淮を遊歴して詩を投じ、徳誠は仕官するよう勧め朝廷に薦めた。仁傑はそこで儒服に改めて金陵に至った。
- たまたま朝貴が昇元閣で宴飲していたとき、仁傑は席に赴いて「登閣詩」に和すと、一座は大いに驚いた。後主はその名を聞いて召見し、風土民俗をあまねく問うと、仁傑は対答して滞ることなく、陳洪進が漳泉に拠る顛末を詳しく言い、なおも所業を献上した。鄂州文学を授けられ、溧陽主簿に補せられた。もとより性は清倹で、門に私謁がなかった。
- まもなく出て吉州で屯田を括量(測量調査)し、肥沃さを視てその優劣を定めると、人々の多くはこれに服した。汾陽令に遷り、金陵が敗れると仁傑もまた卒した。