十国春秋卷三十 南唐十六 列傳 周惟簡

使宋と隠棲への回帰

  • 周惟簡は饒州鄱陽の人である。隠居して学を好み、『易』の義に明るかった。後主が金陵に召すと、布衣から起こされて国子博士・集賢殿侍講となった。しばらくして虞部郎中をもって致仕し山に還った。
  • 金陵が囲まれる間、間道より召し還され、後苑に入って否卦を講じ、金紫を賜った。後主は奇士で兵間を使いできる者を得たいと思い、張洎が「惟簡は談笑して和解を成し遂げられます」と薦めたので、給事中を授け徐鉉の副として宋に使いさせた。後主は手ずから疏を上げて「惟簡は志を妙門に託し、心を道典に存する伴臣で、公途に与らない者だが、これは声価のために朝聴を動かそうとしたものである」と言った。
  • 宋に至ると、宋太祖は召見してこれを詰責した。惟簡は惶恐して逆に「臣はもとより野人であり、未だかつて仕官したことはありません。李煜が強いて遣わしただけです。伏して聞くところ、終南山には霊薬が多いとのこと、願わくは棲隠を得たい」と言った。太祖はこれを許した。
  • 金陵が平定されると、宋の国子周易博士判監事の官を得た。ある人が「終南山の言葉は果たされなければ、罪を得るだろう」と言ったので、惟簡はやむを得ず表して解官を求め、初志を遂げようとした。虞部郎中に改まって致仕し、その子の繕に鄠県主簿を授けて養に就かせた。
  • 太平興国の初め、惟簡は終南山から闕下に至って入見を求めたが、有司は「致仕の官は詔による召しがなければ対を求める制度がない」としたので、そのまま還った。一年余りで再び上表して仕えることを求め、太常博士を除せられ、水部員外郎に遷って卒した。