十国春秋卷十 列傳 駱知祥

財賦を司り厳駱と並び称さる

  • 駱知祥は合肥の人である。財政に長け、事に当たればすぐに処理できた。初め田頵に仕えて宣州長史となったが、太祖が田頵を殺すと、駱知祥を淮南支計官とした。精励して政を為し、事に滞ることがなかった。
  • 天祐中、徐温が国政を秉ったとき、駱知祥は厳可求と左右に協力し、厳可求は軍旅を任じ、駱知祥は財賦を司った。当時これを称して「厳駱」と言った。
  • ほどなく初めて選挙(人材登用)の制を置き、駱知祥にその事を董(つかさど)らせたところ、任用は人を得て、世の多くはその精覈(精密な考察)に服した。
  • しばらくして塩鉄判官を授けられた。武義元年、高祖が呉国王位に即くと、中書侍郎に遷った。駱知祥は徐知誥と甚だ親密であり、徐知誥がつねに厳可求を楚州に出そうとしたとき、駱知祥は実にその謀に与っていた。数年後、病をもって卒した。