十国春秋卷九 列傳 張宣

酷政をもって治む

  • 張宣は字を致用といい、若くして太祖に従い軍校となり、大将の柴斐に隷属した。柴斐は人を愛し部下を治めたので、諸将もこれに感化されたが、ひとり張宣は頗る暴戻をほしいままにし、部下はこれに苦しんだ。
  • 劉信が虔州を囲んだとき、虔州の人は楚に援軍を乞い、劉信は張宣および高審思を遣わして兵を分けてこれを禦がせ、楚の師を大破した。官を重ねて諸軍都虞侯に遷り、左街使に転じ、いずれも厳酷をもって統治した。
  • 最後に武昌軍節度使を領し、地室(地下牢)を設けて罪人を取り調べ、罪の大小を問わず、これに入れられると生きて出られる者はなかった。しばらくして境内は大いに治まり、道に落ちた物を拾う者もいなくなった。
  • あるとき雪の中、炭を商う店で争う者があり、これを取り調べさせると、市で炭を一秤買ったが目方が足りなかったと言う。張宣がこれを秤らせると本当にその通りであったので、炭を売った者を斬って首を梟し、炭を市にかけた。これより炭は一律十五斤を一秤とするようになり、売る者はあえて目方を軽くも重くもしなくなった。南唐の昇元年間に卒した。