廬州に貪暴す
- 張崇は慎県の人である。官は廬州観察使に至った。天祐十三年、光州の将王言が乱を起こしたが、張崇は命を待たず兵を率いてこれを討ち平定した。高祖はこれに奨賞を加えた。
- しばらくして徳勝軍節度使に抜擢され、武義に改元すると安西大将軍を加えられた。張崇は官にあって不法を働くことを好み、士庶はこれに苦しんだ。
- つねに広陵に入朝すると、廬州の人々はその任が改まることを望み、みな喜び合って「渠伊(あいつ)はもう来ないだろう」と言った。張崇は帰るとこれを聞き、人頭割りで「渠伊銭」を徴収した。
- 翌年、再び入朝すると人々の多くは口を閉ざしてあえて言わず、ただ髭を捋(しご)いて喜び合うのみであった。張崇は帰るとまた「捋髭銭」を徴収した。その貪欲放縦なることはこの類が多かった。
- ちょうど廬江の民が県令の収賄を訴え、侍御史知雑事の楊廷式が張崇にも及ぼしてこれを取り調べようとしたが、徐知誥がこれに謝して取りやめとなった。
- ほどなく武寧軍節度使を領し、さらにそのまま廬州を鎮した。太和三年、爵を賜って清河王とされた。張崇は廬州にあって手厚く貨財をもって権要に結び、これによってつねに鎮に還ることができ、民の患いとなること二十余年に及んだ。