貞觀政要狩猟(畋獵第三十八)
虞世南、狩猟を諫める上奏
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秘書監の虞世南は、太宗がしきりに狩猟を好むのを見て上奏し諫めた。秋・冬の狩猟は『周礼』に定める恒例の礼であるとした上で、狩猟は古礼に基づくとはいえ、皇帝が猛獣の巣穴や林藪を尽くして獲物を求めることは、天子の尊さ・貴さにふさわしくないと説いた。かつて漢の司馬相如が武帝の狩猟を諫め、呉の張昭も孫権の乗馬・射虎を諫めたことを引き、狩猟の車を止め、民の訴えを聞き入れるよう願った。太宗はその言を深く嘉した。
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(編者按)『礼記』王制などに、狩猟は農閑期に武を講ずるための古礼であるとある。禹の訓には「禽荒(狩猟に溺れること)」を戒め、文王は遊猟に耽らなかったと伝えられる。狩猟自体は古礼だが、これに乗じて軍を疲れさせ農を妨げ民を害することを戒めたものである。太宗も遊猟を好み、後世の盛大な行幸に比べれば軽いとはいえ、なお制を守らず民を害する恐れがあったため、虞世南の諫めは的を射ていた。
谷那律、雨具をもって諫める
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魏州昌楽の人・谷那律は貞観中に累進して国子博士となり、後に諫議大夫に転じた。博学で褚遂良に「九経庫」と称された。あるとき太宗の狩猟に従い、途中で雨に遭った。太宗が「油衣(雨具)はどうすれば漏れないか」と問うと、谷那律は「瓦で作れば漏れません」と答えた。これは遠回しに太宗の頻繁な遊猟を諫める意図であり、太宗はこれを喜んで受け入れ、絹五十段と金帯を賜った。
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(唐氏仲友曰)谷那律は博学でありながら質朴・実直な人物で、瓦で雨具を作れば漏れないという答えにその人柄が表れている。博学な者は実直であることが難しく、まして両者を兼ね備えるのは稀である。
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(編者按)『孔子家語』に、忠臣の諫めには五つの形があり、その一つを「諷諫」というとある。谷那律の答えは、他事に託して遠回しに諫める諷諫にあたる。太宗はその率直さを喜び褒賞したが、これもまた諫めを受け入れた美事である。
貞観十一年 上封事への不満と魏徵の弁
- 貞観十一年、太宗は侍臣に、懐州行幸に際し民が労役に苦しんでいると上奏した者について、四季の狩猟は帝王の常礼であり、今回の懐州行幸は民に負担をかけていないのに、上奏の言葉が呪詛に似ていると不満を述べた。
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侍中魏徴は、上奏が多いのは陛下自ら上奏を読むためで、僥倖を狙う者もいるが、臣が君を諫めるには従容として諷諫すべきだと述べ、漢の元帝の故事を引いた。薛広徳は輿を降りて橋を渡るよう直言し、張猛は元帝の乗船を諫めて容れられたことを挙げ、太宗は大いに喜んだ。
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(編者按)魏徴は薛広徳の直言よりも張猛の穏やかな諷諫を採ったが、これは太宗の意に順じた発言にすぎない。諫める言葉の巧拙よりも、君主がそれを受け入れて徳を進めることこそが肝要であり、上奏が呪詛に似るというのも、太宗の徳がすでに人に信じられていた証といえる。
貞観十四年 同州での狩猟と魏徵の諫言
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貞観十四年、太宗は同州の沙苑で自ら猛獣を狩り、朝早く出て夜遅く帰った。特進の魏徴は、文王が遊猟に耽らなかった故事、虞人の箴、漢文帝が峻坂を馳せようとして袁盎に諫められた故事、漢武帝が猛獣を格そうとして司馬相如に諫められた故事、漢元帝が狩猟を続けて薛広徳に諫められた故事などを引き、猛獣を狩ることの危険と、宗廟社稷のために私情を抑えるよう願った。太宗は「昨日のことは一時のことで、故意ではない。今後は深く戒めとする」と答えた。
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(編者按)魏徴の諫めは古今を引いて忠篤であり、虞世南の上疏よりも切実である。太宗もこれに感悟せざるを得なかった。
貞観十四年 櫟陽行幸と劉仁軌の諫め
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貞観十四年冬十月、太宗が櫟陽に行幸し狩猟しようとした際、県丞の劉仁軌は、収穫が終わっていない時期に君主が動くべきではないとして上表し切諫した。太宗はついに狩猟を取りやめ、劉仁軌を新安令に抜擢した。
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(編者按)劉仁軌は一県丞の身でありながら一言の忠言で太宗の狩猟を止めさせた。その忠君愛民の心は侍従の臣にも及ばぬものであった。太宗が諫めを喜んで受け入れる美質を持っていなければ、劉仁軌の剛直も生かされなかったであろう。仁軌は後に州県から宰相にまで昇り、吏民の心を得たことは、地方官となる者の模範というべきである。