貞観元年:仁義誠信による治を志す
- 太宗は「古来、仁義で治めた帝王は国祚が長く続いたが、法をもって人を御した者は一時の弊は救えても敗亡が早まった。専ら仁義誠信で近代の澆薄を改めたい」と語り、王珪は「賢を得ることが要」と答え、杜正倫は「時に応じて才は必ずいる、傅説・呂尚を夢見るまでもない」と続けた。太宗はこれを深く納れた。
編者按(戈直)
- 心を正し身を修めて家国天下に及ぼすのが二帝三王の仁義であり、太宗の行いはこれに及ばず、斉桓公・晋文公が仁義を借りたのに近いとしつつ、貞観の治はなお偉業であったと評する。
貞観二年:政の治乱が風俗を決める
- 太宗は「乱離の後でも風俗は変えられぬと思っていたが、近ごろ百姓が廉恥を知り盗賊が減ったのを見て、人に定まった風俗はなく、政の治乱次第だと知った。仁義と威信で民を導き、苛刻を除けば自ずと安んじる」と語った。
編者按(戈直)
- 風俗の美醜は人心の正邪に懸かるとし、太宗の言は魏徴の仁義説を実践し始めた効果の表れだと評す。
貞観四年:徳義こそ真の武備
- 房玄齢が武庫の充実を奏したとき、太宗は「兵備も要事だが、公らには理を尽くし忠貞を尽くして百姓を安楽にしてほしい、それこそが朕の武具だ。隋の煬帝は武具の不足ではなく仁義を修めず民の怨みを買って滅んだ」と語った。
編者按(戈直)
- 周頌が武王の「干戈を収め徳を求める」を称えた故事に太宗のこの言を重ね、天下を保つ道と評す。
貞観十三年:仁義を絶やさぬ心構え
- 太宗は「林が深ければ鳥が棲み、水が広ければ魚が游ぐように、仁義が積もれば物は自ずと帰す。人は災いを避けることは知っても仁義を行えば災いが生じないことを知らない。仁義は飲食のように常に心に保つべきだ」と語り、王珪は深く感服した。
編者按(戈直)
- 太宗の喩えを善き喩えとしつつ、仁義は本来心に固有の理(孟子の「根於心」)であり、あえて「思い保つ」までもないはずだと注記する。