貞觀政要諫言を求める(求諫第四)
太宗、威容を和らげ諫言を求める
- 太宗は自らの威容が臣下を萎縮させることを知り、奏事の際は必ず表情を和らげ諫諍を聞こうとした。貞観初め、公卿に「主が自らを賢とし臣が匡正しなければ危敗は免れない。隋の煬帝が臣下の口を鉗した末に虞世基らも誅殺された前例は遠くない」と語り、民に不利益なことがあれば必ず直言せよと求めた。
編者按(戈直)
- 太宗の求諫は切実で、諫めを容れるだけでなく人を導いて諫めさせ、賞して諫めを奨励した。大臣から小臣(皇甫徳参)、内臣から外臣(李大亮)、文臣から武臣(尉遅敬徳)、廷臣から宮妾(充容徐恵)、賢臣(魏徴)から佞臣(裴矩)、中国の臣から異民族の臣(契苾何力)に至るまで諫言が行われたのは三代以下に例を見ないとし、隋の滅亡を鑑とした太宗の姿勢がこれを招いたと評す。
貞観元年:諫官を宰相の議事に同席させる
-
太宗は「正しい君主が邪な臣を用いても、正しい臣が邪な君主に仕えても治まらない。君臣が魚水の如く相い遇えば天下は安んじる」と語り、諫議大夫王珪は『尚書』『孝経』を引いて諫言を受け入れる大切さを説いた。太宗はこれを善しとし、以後宰相が国政を議す際には必ず諫官を同席させ意見を述べさせるよう詔した。
-
(孫甫の評より)諫官を国政の議に同席させることは、大臣の過失を未然に正す良策であると評す。
- (胡寅・尹起莘の評より)諫官が魏徴・褚遂良・王珪のような人物であってこそ機能する制度であり、人を得ることが要だとする。
編者按(戈直)
- 唐制の「入閣」の儀(宰相の内朝参入に諫官を随行させる)は後世に称えられる美制であり、君臣が共に過ちを防ぐ仕組みであったと評す。
貞観二年:君と臣、どちらに過失の責を帰すべきか
- 太宗が「隋の虞世基は煬帝の無道を諫めなかったが、死を共にすべきだったか」と問うと、杜如晦は「天子に争臣あれば道なくとも天下を失わない。世基は箕子の佯狂とは事情が異なり、諫めぬまま重位に安住した点で死に値する」と答えた。太宗はこれを是とし、「人君は忠良の輔弼があってこそ安寧である」と結んだ。
編者按(戈直)
- 太宗の問いは君への戒め、杜如晦の答えは臣への戒めであり、両者がそれぞれの本分を尽くすべきことを説いた点で「両つながら道を得ている」と評す。
貞観三年:三更まで政を思う心
- 太宗は司空裴寂に、臣下の上書を壁に貼って常に見返し、政を思うあまり三更まで眠らぬこともあると語り、群臣にも同じ心構えを望んだ。
編者按(戈直)
- 成湯の「昧爽丕顕」、周公の「夜以継日」に太宗のこの心を重ね、聖哲すら怠らぬ心を太宗も体現していたと評す。
貞観五年:人の諫めを受けねば人を諫められない
-
太宗は房玄齢らに「古来、帝王は喜怒に任せて濫賞濫殺し天下を喪うことが多い。自分は常にこれを戒め、公らも極言してほしいが、公ら自身も人の諫言を、意に合わずとも受け入れねばならぬ」と説いた。
-
(胡寅の評より)大臣に人の諫めを受けさせることは、諫めの難しさと欲に打ち勝つ難しさを知らしめ、己を正す義でもあると評す。
編者按(戈直)
- 太宗の「人の諫めを受けられずしてどうして人を諫められようか」との言を至言とし、曹参の清静の治が蓋公の一言に基づき、狄仁傑の中興が徐有功らの諫めに支えられた例を引き、己が改める者だけが君の過ちを正せると評す。
貞観六年:直言に宴を賜う
-
太宗は御史大夫韋挺・中書侍郎杜正倫・秘書少監虞世南・著作郎姚思廉らが上封事で意にかなったことを喜び、「龍にも逆鱗があるように、朕にも触れれば怒る所があろうが、卿らが恐れず封事を進めるからこそ宗社の傾覆を憂えずにいられる」と語り、宴を設けて絹を賜った。
-
(唐仲友の評より)諫言する者を悦んで従う太宗の姿勢は、王道の一端であると評す。
編者按(戈直)
- 太宗が逆鱗の喩えで臣下に触忤を恐れさせぬよう促した点を、聖王の兢懼の心の表れと評す。
貞観六年(続):管仲・勃鞮の故事を引いて誠を示す
- 太宗は韋挺への返書で、斉桓公が管仲の射鉤の罪を、晋文公が勃鞮の斬袂の仇をそれぞれ問わず用いた故事を引き、「志は二心なきにあり」と韋挺の忠を称え、終始を全うするよう励ました。
編者按(戈直)
- 管仲・勃鞮の故事を、狐突が子に「二心を持たず旧主に殉じよ」と教えた故事と対照し、忠のあり方には様々な立場があると評す。
貞観八年:怖懼する奏者への配慮
- 太宗は「常々、天心にかなわず民に怨まれることを恐れて内省している。奏事する者ですら物言いに失するほど恐れているのだから、諫諍する者はなおさら逆鱗を犯す恐れを抱くだろう。だから諫めが意に合わずとも咎めない」と語った。
編者按(戈直)
- 漢の賈山の「人主の威は雷霆より重く、勢は万鈞より重い」との言を引き、太宗のように顔色を和らげて諫言を受け入れる姿勢の大切さを説く。
貞観十五年:朝臣が近ごろ諫めない理由
-
太宗が「近ごろ朝臣が政事を論じないのはなぜか」と魏徴に問うと、魏徴は「信じられぬうちの諫めは謗りとされ、信じられて諫めなければ尸禄とされる。臆病な者、疎遠な者、禄を惜しむ者がそれぞれの理由で沈黙する」と答えた。太宗は「忠貞の臣が誠を尽くすのはそれほど難しい。今後は懐を開いて諫めを受けるので恐れず言ってほしい」と応じた。
-
(朱黼の評より)言路の通塞は君徳の盛衰にかかり、太宗も即位当初の熱心さが次第に薄れていたことを指摘する。
編者按(戈直)
- 魏徴が貞観十三年・十五年に太宗の初心の衰えをたびたび指摘していたことを引き、後の君主は始めを慎み終わりを敬うべきだと戒める。
貞観十六年:明鏡としての諫臣
- 太宗は房玄齢らに「自らを知るのは難しい。魏徴は事あるごとに諫正し、鏡が美醜を映すように朕の過ちを映してくれた」と述べ、宴で酒を賜って励ました。
編者按(戈直)
- この言葉は魏徴没後の追想と見られ、群臣にも魏徴のように直言してほしいという願いが込められていたと評す。
貞観十七年:諫めは兆しのうちに
-
太宗が褚遂良に「舜が漆器を、禹が俎を作った際、諫めた者が十余人もいたのはなぜか」と問うと、遂良は「奢侈の兆しは漸増するもので、兆しのうちに諫めねば満ちてからでは手遅れになる」と答え、太宗はこれに同意し、既にやりかけたことでも危亡の兆しがあれば止めるべきだと述べた。
-
(范祖禹の評より)賢者の値打ちは乱を未然に防ぐことにあり、太宗が群臣に「未然を防ぐ」諫めを求めたことを評価する。
- (唐仲友の評より)舜・禹ほどの聖人でも小さな過ちを改めた例を引く。
編者按(戈直)
- 商紂の象箸の故事(箕子が奢侈の兆しを見て嘆いた話)を引き、遂良の言の趣旨に通じるとしつつ、「満盈すれば諫めようがない」との言い方には忠臣としてなお救いの余地を残すべきだと評す。