人物志效難第十一

  • 要旨: 人を知ることには、人物そのものを見抜く難しさと、見抜いても推薦して実効を示せない難しさがある。外形・言説・一時の行動だけでなく、境遇による変化まで見なければならない。

人を知る八つの尺度とその限界

  • 人物は精微で、精神と知を明らかにすることは帝王にも難しい。衆人は一方だけを守り、自分の尺度で、形容、動作、終始、擬象、細微、過誤への恐れ、発言、行事という八方面から人を測る。しかし自分と同じ面だけを取り、異なる面を失うため、当たることが少なく外れることが多い。
  • 初見の形を信じる誤りと、居所や境遇による変化を見損なう誤りがある。浅い美が露出すれば異才、深い明が沈黙すれば空虚、妙理を細分すれば離婁、甲乙を口伝すれば義理の人、是非を好んで説けば臧否に明るい人、日々論じて名を得れば人物鑑識者、政事を論じれば国体に通じる人と誤認する。
  • これは猫や雀の声を聞いて名を付け、実体を知らないのと同じである。注は、魯で儒服の者が多くても、立たせて問えば真の儒は一人だけだったという。名だけの者は用いても効がなく、内実ある者は名がなくても用いれば効が現れ、その時初めて名が明らかになる。

居所と変化を試す

  • 人は、平居では何に安んじるか、顕達時には誰を挙げるか、富時には誰に与えるか、困窮時には何をするか、貧時には何を取るかを見て、賢否を知る。注は、旧に安んずる仁、剛直を挙げる義、厳壮に与える礼、経術に努める智、分に応じて取る信を対応させる。ただしこれは試した後の判断で、初見の相法ではない。
  • 質を知っても変通の略までは分からず、天下の全員と長く交遊することもできない。龐萌や董卓のように志趣が変わる者、李軼のように未達時の望みを達成後に翻す者、王莽のように窮約時は励行し、得志後は欲に従う者もいる。実質と変化の両方を掴むことが第一の難である。

知っても実効を示せない難

  • 上材はそもそも知られにくく、幼賤のうちに死ぬ、見出される前に没する、曲が高く和する者が少ない、公叔座が商鞅を薦めても魏王が用いないように唱和を得ない、禽息が百里奚を挙げて身を砕いたように身分が低く言葉を信じられない、といった障害がある。
  • 時の好みに合わず、黄老を好む竇后のもとで儒者が進めないこともある。卞和が工匠でないため璞を抱いて泣いたように地位がなく、何武が公孫錄を挙げても王氏に圧されたように、地位があっても屈迫されることもある。良材・真の知己・明主の三者が会うのは万に一つである。
  • 真に識る者が地位にあることは百に一つ、地位と勢いが推薦に適することは十に一つである。識見があっても妨害や競争で薦めず、薦めたくても真を識らない者もいるため、知者と不知者の行動は群衆の中で紛れてしまう。真に知る者は効を示す道がなく、不知者は自分がまだ識っていないだけだと思う。これが第二の難である。