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北史
卷九十 列傳第七十八藝術下 褚該
字は孝通、河南の医師
字は孝通、河南陽翟の人。父義昌は梁の鄱陽王中記室。医術に優れ梁の武陵王府参軍を経て蕭㧑と共に北周へ帰順。許奭の死後、姚僧垣に次ぐ名声を得た。天和初年(566年)県伯下大夫、車騎大将軍・儀同三司。誰にでも尽力する長者と評された。子の褚則も家業を継いだ。
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