北史卷七十三 列傳第六十一 和洪
生涯
- 和洪、汝南の人。勇烈さは人並外れていた。北周に仕え軍功により車騎大将軍・儀同三司を拝命。当時龍州の蛮族任公忻・李国立らが兵を集め乱を起こし、刺史独孤善は防ぎきれなかった。朝議は洪の武略を認め善に代え刺史とした。一月余りで公忻・国立らを斬りすべて平定した。のち武帝の斉平定に従い上儀同を拝命し北平侯を賜り左勲曹下大夫を拝命。柱国王軌が陳将吳明徹を捕えた際、洪はこれに功があり開府を加えられ折衝中大夫に転じた。
- 尉遅迥の乱では行軍総管として韋孝寛に従い討伐、功により広武郡公に封じられた。当時東夏は平定されたばかりで人心はなお動揺しており、隋文帝は洪の威名を頼み冀州の政務を統べさせ大いに人望を得た。のち泗州刺史を拝命。突厥が辺境を犯した際、詔により北道行軍総管として撃退し磧まで追撃して帰還した。のち徐州総管に転じ、任地で没した。