北史卷七十 列傳第五十八 郭彥

経歴

  • 太原陽曲の人。その先は関右に官として従い馮翊に居住した。父胤,霊武令。彦は少くして知られた。周文帝が雍州に臨む際,西曹書佐に招かれ虞部郎中に累遷。大統十二年,当州の首望に選ばれ郷兵を統領し帥都督を授かる。郎官として著称され龍門県子に封,大都督に進む。恭帝元年,兵部尚書を除せられ,本兵をもって柱国于謹に従い江陵に南征。驃騎大将軍・開府儀同三司に進み伯に進爵。六官が建てられると戸部中大夫を拝す。周孝閔帝践祚後,澧州刺史に出る。蛮左は生梗で農業を営まなかったが,彦は耕稼を勧め人々は皆本業に励み,亡命者も皆賦役に従うようになった。これより先,澧州は糧儲が乏しく常に荊州から輸送させていたが,彦の赴任後は倉庾が充実し輸送の労がなくなった。斉の南安城主馮顕が密使を遣わし帰降を申し出たが,その部下はまだ知らなかった。柱国宇文貴は彦に兵を率いて応接させた。時に斉人は先に顕に部下を率いて糧を南下させていたため,彦はその衆が命に従わないことを恐れ道中でこれを邀え,顕は自ら脱出できた。その衆は果たして戦を拒んだが,彦は兵を放って奮撃しこれを虜獲した。南安が無備であることから即座に軍を進めて襲い,その城を得た。晋公護はこれを嘉し懐徳県公に進爵。工部中大夫に入る。保定四年,晋公護の東討に際し彦は尉遅迥に従い洛陽を攻め,迥はまた彦に権景宣とともに汝南に出させた。軍が豫州に至ると彦にこれを鎮守させた。天和中,隴右総管府長史。官にて卒,小司空・宜鄜丹三州刺史を追贈。