経歴
- その先は天水西の人,のち南鄭に徙居。代々二千石を務めた。父玨,性方厳で度量あり。禦伯中大夫を拝し昌国県伯に封。虞・絳二州刺史を追贈,諡は貞。文表は少くして修謹,忠節を志した。周文の親信として起家,左金紫光禄大夫に累遷。保定五年,畿伯下大夫を授かり許国公宇文貴の府長史に遷る。まもなく車騎大将軍・儀同三司を拝す。宇文貴に従い突厥に皇后を迎える際,進止儀注は皆文表に典掌させた。文表は斟酌して行いすべて礼度に合った。皇后が入境しようとする際,突厥は馬が痩せていることを理由に行程を遅らせようとし,文表はこれが変事になることを慮り突厥の使者羅莫緣に「皇后が発ってからすでに長い時間が過ぎ,途中は砂漠を経て人馬は疲労している。また東寇は常に隙を伺い吐谷渾も変事を起こしうる。今君は可汗の愛娘をもって上国に嫁ぐというのに,少しも防備の慮りがないのは,どうして臣たる者の道であろうか」と説いた。莫緣はこれを是とし道を倍にして進み数日で甘州に至った。皇后を迎えた功により別に伯陽県伯に封じられる。天和三年,梁州総管府長史を授かる。所管の地で恒稜と呼ばれる地は数百里四方,夷・獠の居住地でその険固を恃み常に不軌を懐いていたが,文表は率兵してこれを討平した。蓬州刺史に遷る。政は仁恕を尚び夷・獠はこれに懐いた。驃騎大将軍・開府儀同三司を加え,さらに大将軍を加え公に進爵。大象中,呉州総管を拝す。時に開府于顗が呉州刺史であった。隋文帝執政の際,尉遅迥らが挙兵し遠近が騒然とし人心に異望を懐く者があった。顗は自らの一族が大きく国家の肺腑たることから,文表が自分を裏切ることを恐れ,先んじようと図り病を称して出仕しなかった。文表がこれを見舞いに行くと,顗は手ずから刃を振るい文表を殺害し,配下の吏人に「文表は謀反した」と告げさせ,馳せてその状を上申した。帝は諸方が未だ定まらないことから顗が変事を起こすことを恐れ,顗に呉州総管を授けて安んじた。のち文表に異志なきことを知ってからも顗を罪しなかったが,その子仁海の襲爵を許した。