経歴
- 字興慶,太原祁の人。父因,魏霊州刺史・懐徳県公。慶は少くして聡明,才略あり。初め周文の征伐に従い弘農回復,沙苑破りに功あり,常に格別の褒賞を得た。大統十年,殿中将軍を授かる。周孝閔帝践阼後,晋公護が典簽に引き入れる。慶は機知に優れ次第に親任され大都督を授かる。武成元年,前後の功により始安県男を賜る。二年,小賓部を行う。保定二年,吐谷渾に使いし境を分かち和好を論じた。渾主は悦服しその近臣を随行させ貢献させた。
- 当初,突厥は周と和親し娘を皇后として納れることを許していたが,斉人がこれを知り合従を恐れ,また使者を遣わし婚を求め財饋を厚くした。突厥はその重賂を貪り許してしまった。朝議は魏氏がかつて蠕蠕と結婚し斉人に離間されたことを踏まえ再び改変を恐れ使者を遣わすこととした。慶は左武伯を授かり楊薦の副使となった。この歳,并州入りの役が起こった。慶は突厥の騎兵を引き隋公楊忠とともに太原に至り帰還した。斉人が皇姑及び世母を送ってくると朝廷は斉と通和した。突厥はこれを聞き再び疑いを持ったため,また慶を遣わし論した。可汗は感悦し初めのように好を結んだ。五年,また宇文貴とともに突厥に使いし娘を迎える。以来,慶は北蕃に信頼が篤く頻繁に使者となった。のちまた突厥に至った際,その可汗が急逝すると,突厥は慶に「前後の使者が来て我が国の喪に逢った際は皆面を覆って哀を表した,まして今二国は和親している,どうしてこの礼を行わないのか」と言ったが,慶は抗弁して従わなかった。突厥はその正しさを見て遂に強いなかった,武帝はこれを聞き嘉した。慶の前後の使功を録し開府儀同三司・兵部中大夫に遷り公に進爵。丹・中二州刺史を歴任,政は厳粛で吏は犯さなかった。大象元年,小司徒を授かり上大将軍・総管汾石二州五鎮諸軍事・汾州刺史を加える。また延州総管に除せられ柱国に進位。開皇元年,平昌郡公に進爵。鎮にて卒,上柱国を追贈,諡は荘。子淹が嗣ぐ。