経歴
- 字承略,秦郡寧夷の人。父宝,昌平郡守。薦は幼くして孤児となり早くから名誉あり,性廉謹で喜怒を色に出さなかった。魏永安中,爾朱天光に従い関に入り賊を討ち高邑県男に封。周文が夏州に臨むと帳内都督に補される。侯莫陳悦平定後,薦を洛陽に遣わし事を請わせ,孝武帝は周文を関西大行台に授け薦を直閤将軍とした。時に馮翊長公主が寡居しており,孝武帝は周文に嫁がせたいと考え武衛元毗にその意を伝えさせた。薦は帰ってこれを周文に告げ,さらに薦を洛陽に遣わしこれを請わせ孝武帝は許可した。孝武帝が関中に赴こうとした際,薦はその計を助けた。孝武帝は「卿は帰って行台に私を迎えるよう言え」と述べ,周文はまた薦を長史宇文測とともに関を出て迎えさせた。孝武帝は長安に至った。清水県子に進爵。
- 大統元年,蠕蠕が和親を請うと,周文は薦を楊寛とともに使者とし結婚して還った。侯に進爵。また薦に蠕蠕への納幣を命じた。魏文帝の鬱久閭皇后が崩じると,周文は僕射趙善を蠕蠕に遣わし再び婚を請わせたが,善が夏州に至ると蠕蠕が東魏に貳心を持ち使者を捕らえようとしていると聞き恐れて戻った。周文は薦を遣わし,黄金十斤・雑彩三百匹を賜った。薦が蠕蠕に至り恩に背き言を食んだことを責め結婚の意を論じると,蠕蠕は感悟し使者を薦に随行させ報命した。侯景来附の際,周文は薦に鎮遏を助けさせた。薦は景の翻覆を知り帰還を求め事実を具申,周文は密使を遣わし景を助ける兵を追い戻した。まもなく景は反乱した。
- 十六年,大軍が東討する際,周文は蠕蠕が虚に乗じて寇掠することを恐れ薦を遣わし再び和好を論じ安慰させた。使持節・驃騎大将軍・開府儀同三司,侍中を加える。周孝閔帝践阼後,禦伯大夫を拝し姚穀県公に進爵,突厥との結婚を担わせた。突厥可汗の弟地頭可汗阿史那庫頭は東面におり斉と通好し兄に先約に背くよう説いた。謀は既に定まり薦らを斉に送ろうとしたが,薦はその意を知り正色で責め辞気は慷慨し涙を流した。可汗は長く慨嘆した末「疑うことなかれ,共に東賊を平定した後に我が娘を発遣しよう」と言い,薦にまず報命させ東討を請わせた。使命に称ったとして「廷大将軍」に進んだ(遷大将軍の誤りか)。保定四年,また突厥に納幣。還って小司馬を行い大司徒を行う。陳公純らに従い突厥から娘を迎え,南安郡公に進爵。天和三年,総管梁州刺史に遷る。のち病により卒。