知略の斥候
- 字は阿六拔、代の武川の人。若くして驍勇で騎射に優れた。賀拔岳の西征に帳内として招かれ万俟醜奴討伐に加わった。周文帝の侯莫陳悅討伐にも従い、大統の初め公爵に進んだ。
- 果は記憶力に優れ権略もあり、敵の虚実を伺い情況を推察するのに長けた。谷間に潜んで斥候しようとする者があると、果が高所から望んで疑わしい場所を探ると必ず何かを見つけたため、周文帝は果を虞候都督とし、遠征のたびに斥候騎兵を統率させ、昼夜巡察してほとんど眠らなかった。
- 潼関で竇泰を破った戦では、周文帝は果の情報をもとに勝利し真珠を鏤めた金帯を賜った。弘農奪還・沙苑の戦い・河橋の戦いでも功を立て、朔州・安州二州刺史を歴任した。芒山の戦いの後、軍が戻ると河東郡守。大將軍に従い北山で稽胡を破った際、険阻な地形にもかかわらず追討して部族を潰散させた。稽胡は果の勇猛さを恐れ「翅をつけた人」と呼んだといい、周文帝は「翅をつけた名も、飛将軍(李広)の名声には及ぶまい」と笑ったという。
- 開府儀同三司に進み褒中郡公に進爵。保定三年(563年)少師を拝命し柱国に進んだ。天和初め(566年頃)華州刺史を授かり、寛簡な政で官吏民に称えられた。没した。子の韓明が跡を継いだが、黎州刺史として尉遲迥の反乱に加わり誅殺された。