北史卷四十六 列傳第三十四 馮元興

馮元興

  • 字子盛、東魏郡肥郷の人。若くして志操あり秀才に挙げられ、御史中尉王顕の検校御史から殿中御史。司徒江陽王継の記室参軍を経て元叉に知られ、叉の執政下で尚書殿中郎・中書舎人・御史を兼ね機密に参与しつつ、謙虚な人柄で恨みを買わなかった。家は貧しかったが食客数十人と飢飽を共にし人々に称賛された。
  • 太保崔光の臨終の推薦で孝明帝の侍読(賈思伯が侍講)として『杜氏春秋』を講じ、儒者に栄誉とされた。元叉の賜死後は自身も廃され、《浮萍詩》(「碧池に草生じ根なく水上に漂う…」)で境遇を喩えた。普泰初(531年)光禄大夫・中書舎人に復し、太昌初(532年)没し斉州刺史を追贈。元叉の権勢に依存して交遊を築いたことから、議者にその出自の低さと結びつけて批判された。
  • 同時代の済郡曹昂は学識あり秀才に挙げられ、永安中(528〜530年)太学博士・尚書郎を兼ねたが、清貧を装い徒歩で登庁しながら盗難に遭い綾縑を失う失態を演じ、その虚飾ぶりを人々に軽んじられた。

史論

  • 孫紹は関左の士でありながら時務をよく論じた。張普惠は典故に明達で剛直に官に仕え、王臣の風があった。成淹・范紹・劉桃符・鹿悆・張耀・劉道斌・董紹・馮元興らはそれぞれ機会に恵まれ才を発揮した、才がなければこのように事を成せなかったであろう。