北史卷四十五 列傳第三十三 淳于誕

淳于誕

  • 字霊遠、その先は太山博の人でのち蜀漢に移住。父興宗は斉の南安太守。誕12歳の時、父が道中で盗賊に殺されると財を傾けて仇討ちを果たし、州里に称賛された。景明中(500〜503年)漢中から北魏に帰順し蜀討伐の策を進言、宣武帝に嘉納された。延昌末(515年)の遠征では驃騎将軍・都督・別部司馬・郷導統軍とされたが実職を固辞し名誉号のみ受けた。成都攻略成功時には益州を約束されたが、宣武帝崩御により遠征は中止。以後客礼で羽林監に起用。正光中(520〜525年)秦・隴の反乱に際し西南道軍司馬として魏子建の下、梁の益州刺史蕭深猷の将樊文熾・蕭世澄らの小剣戍包囲を撃退し世澄ら11人を捕えた。孝昌初(525年)華陽郡・白馬戍を代行、のち東梁州刺史で没し益州刺史・諡莊を追贈。