北史卷三十九 列傳第二十七 房豹
禳厄を斥けた清静の太守
- 字は仲幹、体貌魁岸で音吐がよく、州の主簿から慕容紹宗の開府主簿・行台郎中となった。紹宗が「水厄がある」として自ら戦艦で水浴し厭勝しようとした際、豹は「命は天にあり人為で延ばせるものではない、公が真に水厄を持つなら禳っても避けられず、なければ禳う必要もない」と諫めたが、まもなく紹宗は溺死し、人々は豹の見識に驚いた。
- 謁者僕射・西河太守として稽胡混住の地を清静な政で治め、博陵太守でも能名があり、樂陵太守時代には海に近く水が鹹苦であった郡に井戸を掘らせて甘泉を得たと評判になったが、豹の離任後は井の味が再び鹹くなったという。齊の滅亡後は郷里で自適し、征命に固辞を通した。子はなく兄の熊の子彥詡(明弁で学識があり殿中侍御史・千乘益都令として惠政を敷いた)を後継とした。熊は至孝で節概があり七子を残した。