北史卷三十五 列傳第二十三 道邕

魏末から西魏への出仕

  • 瓊の子の道邕、字は孝穆。幼くして謹厚で清約を旨とし、二十歳前から経史に通じた。父の従兄弟四人が皆早く没したため、道邕は長として弟たちを撫育し、実の兄弟のように和やかであった。
  • 魏の孝昌初年、太尉行参軍として出仕し戦功により左光禄大夫・太師咸陽王長史にまで進んだ。孝武帝の西遷に従い関中に入り、司徒左長史を除され臨洮王友を領し永寧県侯の爵を賜った。

西魏での治績

  • 大統年間、岐州刺史代行となり、在任わずかで能吏との評判を得た。雍州刺史の王羆はその善政を欽慕し書を送って称えた。それ以前、管轄の百姓は戦乱で逃散し尽くしていたが、道邕が赴任した日には戸数はわずか三千であったのが、慰撫に努めた結果、数年のうちに四万家に達した。考課で天下第一とされ、周文帝(宇文泰)は書を賜り称賛した。京兆尹に召された。梁の岳陽王蕭詧が藩を称すると、道邕は散騎常侍を仮され節を持って蕭詧を梁王に拝命させた。使命を果たし儀同三司・散騎常侍に進んだ。
  • 周文帝の東討に際し大丞相府右長史を除され金郷県男に封じられた。潼関に至ると、道邕は左長史孫儉・司馬楊寛・尚書蘇亮・諮議劉孟良らとともに軍務を分掌し、関東からの帰附者の接遇と品定めを任され、いずれも適切に処理した。のち中書令を拝し宇文氏の姓を賜ったが、まもなく病により辞職した。
  • 周の孝閔帝の即位後、驃騎大将軍・開府儀同三司に加えられ子爵に進んだ。禦伯中大夫・禦正・宜・華・虞・陝四州刺史を歴任し、いずれも治績を上げた。少司空に入り没した。本官に加え鄭・梁・北豫三州刺史を贈られ、諡は貞。