北史卷三十四 列傳第二十二 宋繇

経歴

  • 宋繇、字は体業。燉煌の人。代々張氏に仕えた。父の僚は張玄靚のもとで武興太守を務めたが、宋繇が生まれる前に張邕に誅された。五歳で母を失い伯母張氏に孝を尽くし、八歳で張氏も没すると喪に服すること礼を過ぎるほどであった。妹婿の張彦に「家門が傾いたのは私にかかっている、胆を嘗めて自らを励まさなければ先業を継げない」と語り、酒泉に赴いて師に就き、閉じこもって昼夜書を読み経史に博く通じた。
  • 呂光の時代、秀才に挙げられ郎中を除された。のち段業のもとに奔り中散騎常侍となったが、段業に遠略がないと見て西の涼武昭王李暠のもとへ移った。要職を歴任し家に余財はなく、兵乱の中でも講読を怠らなかった。儒士が来れば必ず倒屣で出迎え経籍を語り合った。特に判断力に優れ、時事にも滞りがなかった。
  • 沮渠蒙遜が酒泉を平定した際、宋繇の家からは書数千巻と塩米数十斛のみが見つかった。蒙遜は「李氏を破ったことより、宋繇を得たことが嬉しい」と嘆じた。尚書吏部郎中を拝し人事権を委ねられた。蒙遜が死に際して子の牧犍を託すと、宋繇は左丞となり、牧犍の妹興平公主を京師に送った。太武帝は宋繇に河西王右丞相を拝し清水公の爵を賜った。涼州平定後、牧犍とともに京師に至り没した。諡は恭公。

宋繇の子孫(巌・廕・季預)

  • 長子の巌が爵を襲ぎ西平侯と改めた。巌の子の廕は中書議郎・楽安王范従事中郎を務め、死後咸陽太守を贈られた。
  • 廕の子の季預は清廉厳格な性格で、家にあっても官にあるが如く振る舞い、渤海太守を務めた。子は遊道。