北史卷三十四 列傳第二十二 趙柔

経歴

  • 趙柔、字は元順。金城の人。若くして徳行と才学で河右に名を知られた。沮渠牧犍の時代、金部郎を務めた。太武帝の涼州平定後、京師に内徙した。著作郎・河内太守を歴任し信義と恵政で名を知られた。
  • 趙柔は道中で人が落とした金珠一貫(数百縑相当)を拾い、持ち主を呼んで返した。のちある人が数百枚の鋤刃を贈ってきたので、子の善明とともに市で売ったところ、ある商人が相場より高い三十匹の絹を提示した。善明が受け取ろうとすると、趙柔は「人との取引は一言決めたら守るべきで、利で心を動かしてはならない」と言い、当初提示された二十疋で取引した。人々はこれを聞いて敬服した。
  • 隴西王源賀が仏典の奥旨を採り『祗洹精舎図偈』六巻を作ると、趙柔がこれに注解を加え当時の高僧に賞賛された。また碑銘の撰文も多く世に行われた。子の默、字は沖明、武威太守。