盧魯元とその子孫
- 盧魯元、昌黎徒河の人。曾祖副鳩は慕容氏に仕え尚書令・臨沢公。祖・父はともに大官に至った。魯元は寛和で雅度があった。明元帝の時、通直郎に選ばれ忠謹をもって東宮に仕え太武帝に親愛された。即位後、中書侍郎とし寵待はいよいよ篤くなったが、魯元はますます謹粛に努め帝の親愛も深まった。内外の大臣は皆敬憚した。人を容れる度量に富み人の過ちを覆い美点を挙げることを好んだため公卿は皆親しんだ。書に長け文才もあり中書監・秘書事の領を歴任。襄城公を賜爵、父に信都侯を追贈された。赫連昌討伐に従い、太武帝が自ら城門に追撃した際、魯元は帝に随行し、この日魯元がいなければ帝は危殆に陥るところだった。のち太保・録尚書事に遷った。帝は特別に重んじ、その邸に幸すると十日も出なかった。近くに居させ往来を容易にするため宮門の南に甲第を賜り、衣食車馬はすべて乗輿に準じた。真君三年、帝が陰山に幸した際、魯元は病で従わなかった。侍臣が病を見舞い医薬が道に相次いだ。薨去に際し帝は深く悼み自ら喪に臨んで哀慟した。東西二宮は日々大官に奠を送らせ、朝夕哭臨し終われば鐘鼓伎楽を備えて奏させた。車駕は葬送に三度臨んだ。喪礼は安城王叔孫俊の故事に依りつつさらに厚くした。襄城王を贈られ諡は孝。崞山に葬られ碑闕を建てられた。魏の興隆以来、貴臣の恩寵でこれに並ぶ者はなかった。
- 子の統が爵を襲ぎ、父の縁で東宮に侍した。太武帝は元舅陽平王杜超の娘、南安長公主所生の娘を妻に与え、車駕自ら送り出し太官が供具を設け賞賜は千を数えた。文成帝即位後、選部・主客二曹を典じた。卒去し襄城王を贈られ諡は景。子なく弟の弥娥が跡を継ぎ、卒去し襄城王を贈られ諡は恭。
- 魯元の末子内は東宮に給仕した。景穆太子はこれに深く親しみ常に寝食を共にした。父子ともに両宮の寵を受け勢力は天下に傾いた。内は寛厚で父の風があったが恭慎さは及ばなかった。正平初年、宮臣が誅殺された際、太武帝は魯元の縁で内だけを殺しその兄弟は厚く庇護した。