北齊書卷十九 列傳第十一 賀拔允

賀拔允

  • 賀拔允、字可泥、神武尖山の人。祖父爾頭、父度抜は魏史に伝あり。允は弓馬に長け胆略あり、弟岳と共に賊帥衛可肱を殺し魏に投じた。広陽王元深により積射将軍・持節防滏口。深の敗北後爾朱栄に帰す。允父子兄弟は皆武芸で知られ、栄はこれを厚遇。建義初め征東将軍・光禄大夫・寿陽県侯(食邑700戸)。永安中征北将軍・蔚州刺史、公に進爵。魏長広王即位で燕郡公に改封、兼侍中として茹茹に使いした帰途、高祖の挙兵に会い、允は高祖の非常人たるを知り早くから結託した。高祖は允が北方士人の名望であることを重んじ、信都出兵・大策の策定に共に参与させた。魏中興初め司徒・尚書令、高祖の入洛で王に進爵、太尉・侍中。
  • 魏武帝が高祖を猜疑した際、允の弟岳(賀抜岳)を心腹として往来を通じさせたため、允が異心を持つのではと憂慮された。岳の死後、武帝は岳の兄勝(賀抜勝)に心腹を委ねたが、高祖は允の旧誼を重んじ久しく庇護した。天平元年、允は賜死、48歳。高祖は自ら哭し定州刺史・五州軍事を追贈。三子(世文・世楽・難陀)は興和末高祖により諸子と共に学ばされ、武定中定州に居させ田宅を賜与された。